最高裁判所第二小法廷 昭和44年(オ)686号 判決 1969年10月17日
上告人(原告・控訴人) 森文洋
右訴訟代理人弁護士 水崎幸蔵
被上告人(被告・被控訴人) 江藤章子
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人水崎幸蔵の上告理由第一点について。
上告人の子備的請求原因の要点は、被上告人は、自己を表示する名称として亡江藤文雄名義を使用して本件手形を振り出したのであるから、振出人として責任を負うべきであると主張したのに対し、被上告人は、右事実を否認したうえで、手形作成の経緯を述べ、被上告人が振出人となる意思なく、単純に文雄の氏名を代書したにすぎないことを積極的に主張しているのである。原判決は、右争点について、上告人の右主張事実は認められず、かえって、被上告人は、亡江藤文雄の父正一の指示により、単に機械的にその作成交付の行為をしたにとどまり、白己を表示するために、文雄の記名捺印をしたものではないことを認定したもので、この認定事実によれば、被上告人が本件手形の振出人として手形上の責任を負ういわれはないから、原判決には所論の違法はない。所論は、被上告人の主張および原判決の判示するところを正解しないで、違法をいうにすぎず、論旨は採用しえない。
同第二点について。
所論の主張は、上告人が原審において主張しなかったところであるから、原判決が、右主張について判断しないことに何らの違法はなく、しかも、原判決は、上告人が自己を表示する名称として文雄名義を使用したものではない旨を判示しているのであって、これは単に上告人が内心において振出人となる意思がなかったことを認定したにとどまるものではないから、いずれにしても論旨は採用しえない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 色川幸太郎 裁判官 村上朝一)
上告代理人水崎幸蔵の上告理由
第一点原判決は、当事者の主張事項につき判断を遺脱し当事者の主張しない事項を基礎に判決を為した違法があるものと信ずる。本件約束手形がその作成理由の如何を問わず被上告人の自由意思の下に作成交付されたものであることは当事者間に争ないところである。かように外形的には振出、交付の手形行為が存する以上手形の文言性、無因性、流通性に照し手形行為の効力も厳格に解せらるべきものと信ずる。被上告人は原審において被上告人は手形振出人としての義務を負担する意思は全くなく単純に相良知彦のために亡夫文雄の名義を以て手形を作成してやるというだけのつもりで文雄の氏名を代書したに過ぎないから手形責任がない旨主張していることは原判決事実摘示に依り明白である。而して本件手形の作成交付が被上告人自身として為されたもので文雄の行為を代行したものでないことは文雄は当時既に死亡していたことを被上告人において充分知悉していたことに徴し寸疑ないところである。
そこで被上告人の右主張は結局被上告人は手形振出人としての義務を負担する意思なく単に訴外相良知彦のためにするつもりで作成交付したに過ぎないから手形責任がないというにあると解するの外ない。従って原審は手形責任を負う意思なく為された手形の作成交付が手形責任否定の理由となるかどうかを判断すべきであると信ずる、然るに原判決はこの点につき何等判断することなく「……自身(被上告人を指称す)が振出人となる意思を以て自身を表示するため文雄の記名捺印をしたものでない」と判示し本件手形は被上告人に振出人となる意思がなかったと認定し以て被上告人の手形責任を否定されている。手形責任を負担する意思がないということと手形振出人となる意思がないということとは全然別個の事項に属する。けだし前者は手形責任を負担する意思がないというのであって手形振出行為を肯定するのに反し後者は手形振出行為そのものを否定するものであるからである。従って当事者が前者を主張したのに拘らず、これに対し何等決断を為さず当事者の主張しない後者の事実を認定し、これを基礎に手形支払義務を否定した原判決には冒頭所掲の違法が存するものと信ずる。
第二点<省略>